内田樹先生からのお年玉 [考察]
仕事関連のサイトを一巡しているうち、ついつい内田先生のブログを読む(どこが「ついつい」やねん!)。
先生からお年玉の「おすそ分け」をもらった。 ありがとうございます。
http://blog.tatsuru.com/archives/001465.php
デカルトの記述を引用した件を読んで、速攻で『方法序説』買いに走りそうになった。 銀行が開いてないので、お金がなかった。
自慢じゃないが、自分たちの世代は、デカルトなど読んだことはない(自分だけだろ!とツッコンどこ)。 どちらかというと、アンチ・デカルトの二次、三次、それ以上の引用文献しか読んでない。 育ちが悪い。
哲学的論考(=本来の目的)のためには、自分の既存の「住まい」を点検するのに壊さなければならないが、目的の住まいができるまでの間(=こりゃ「生きてる間ずっと」に限りなく近い)、快適な「仮の住まい」が必要。 そこでの仮の生活は・・・(後は元記事読んで!)。 早く気がつけ自分。
二年前にこのデカルトの言葉を知っていれば。 そうすれば、今ここで一人仕事していることも無かったろう(泣)。 人並みのお正月を迎えていたかもしれない。 まさに身から出た錆(号泣)。
2006年になって、早くも二回目の猛反省。 一日一回反省が今年の目標か。




あたしは哲学専攻だったので「デカルトに関する論文を書け」との課題を出されたことがあります。8割以上の学生が『方法序説』を選んだことに反発して『省察』で論文を書いたところ「試験が序説から出される」との情報を得て慌てふためきこれを読みました。ちょうど一昨年のお正月です笑
「仮住まい」をたてて「本拠」を壊し、点検する云々・・という記述は、デカルトにしてみれば導きたい一般原則への重要な布石ですね。わたしはパラレルワールドのようなものは信じていないので、「ある」は「ある」、「ない」は「ない」と思いたいですけれども・・。
内田先生の文章はいつも優しさに溢れていますね。辞書がないと読めないところが歯がゆいですが、勉強や心がけが生みだす未来は「現在の延長」であってほしいと願って精進します笑
by えみる (2006-01-02 17:46)
ほとんど、発作的なエントリですな。 デカルトと関係ないぞ、自分。
えみる様、毎度ありがとうございます。
自分が感じ入ったのは、もっと俗世的なレベルです(システム関係のプロジェクトで迷惑をまきちらしております)。
どんどんメタレベルに引いていく運動は、行き着くところ、バター。 バターにとろける無限運動しかあり得ないなら、「とりあえず」暮らしていく住まいが必要で、「生活」が漏れなく付いてくるのが、人というものでしょうか。 その、「とりあえず」さを認識すること、かつ「尊さ」を認識することが、内田=デカルトの言いたいことでしょうか。 勉強しよ。
by shao113 (2006-01-02 19:35)
哲学は自分と一番遠いところにあるのです。でも、たとえが非常に面白いというか、哲学を住まいと仮の住まいにたとえて、それをまたラーメンにつなげるとは・・・・わからん!
by がぁこ (2006-01-02 22:55)
「ラーメンでも食べとくか」の連想の元には、きっと、復活した「ちび黒サンボ」のバターになった虎があります。 その元が哲学だということですね(ホントかよ)。
がぁこ様、ありがとうございました。
by shao113 (2006-01-03 00:21)
「デカルト」について 論じ合うBLOG。。。素敵だ!
私は、塩ラーメンに バターを 載せて 食べるのが、好きです!
「バター」は、深い!…の ですね。
by KANAchanMaMa (2006-01-03 14:41)
おいでやす。 雨の江ノ島、まいりました。 降参です。
KANAchanMaMa様、ありがとうございます。
デカルトは、自分たちにとって「既成勢力」みたいな物でしたね。 若かったなー、アホだし(今でも)。
「ちびくろサンボ」も、刷り込まれた記憶の一つですな。 一時期「ご禁制の品」になっていたので、そのころ幼児だった世代は、あの「バター」の件を知らないわけで、これはひょっとすると、致命的な欠落かも。 ぐるぐる回ると「バター」になる、という発想は、ディ〇ニーには無いでしょ。 自分はラーメン食べると、テキメンお腹壊します。 新年からビロウな話してすみません。
by shao113 (2006-01-03 15:02)